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2011年4月19日 (火)

春雪

タイマグラ、まるでクリスマスのような景色。
10センチくらいは積もったかなぁ。
せっかく咲き始めたカタクリも雪の下。
先日10歳13歳タイマグラ橋のたもとで
冬眠から覚めたクマに会ったらしいけど
またどっかの木の洞に入ったか。

沿岸も雪らしい。避難所寒いだろうなぁ。
雨で土砂災害もこわいからまだ雪のほうがいいか?
とか。でもいずれこの先雨の季節になると心配。

春の湿雪は珍しくはないけど
ホンキ降り、こんな時期というのは
久しぶりのような気がする。

これまで
「原発ねぇ。でも、ま、電気必要だし・・・」
と思っていた方がいるなら(!?)
是非
「・・・そいで自分はどうするのだろう・・・」
という機会にしてほしい。
じゃないとやっぱり忘れる。
10年20年は忘れないだろうけど。
でもマスコミは少なくとも忘れる。

忘れちゃいけないけど
「フクシマは気の毒だったねぇ」。
ってことで終わらせられない。
こんな小さな国でそして地震の多い国で
あちこち原発あるんだから。
更に再処理工場があるんだから。

『なぜ警告を続けるのか
   〜京大原子炉実験所・”異端”の研究者たち〜 』

京大原子炉実験所の
反骨の学者今中先生、そして小出先生
   「原子力をやめることに役に立つような
   原子力の研究をしている・・・」

六ヶ所村で再処理工場に反対している
「花とハーブの里」を主宰する菊川さんも登場する。
20年近く続いた菊川さんのとこのチューリップまつり
今年が最後だという。

人柱までして手放せない豊かな暮らしって・・・。
「健康のためなら命もいらない!」(笑)
ってのと同じくらい滑稽で虚しい。

これまで長い年月をかけて築いてきた土地の文化も
今も、そして未来をも封じ込んでしまう。

そしてこちらもよろしく。
反原発オンライン署名サイト

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2011年4月17日 (日)

ちょっと先へ

昨日は宮古市の田老地区の避難所
震災後初の宮古田老へ。

友人4人とわが家の13歳含む同じく13歳トリオと出かける。

田老の友達の家は
「えーっとえーえー・・・」
と運転しながらチラチラと見ているうちに、街が終わっていた。
というか目印となるものがないほどに、何もかも瓦礫となっていた。

1ヶ月が過ぎ、田老地区は着々と仮設住宅も作業が進み
避難所ではダンボールの間仕切りの組み立てが始まったところだった。

早速13歳チームはそこに入ってガンガン折り曲げて作る。

大人は10台の洗濯機が並ぶ洗濯コーナー
子どもたちのスペース
女性専用の洗濯物干し場や着替えスペースなども。
その後は届けられた物資がおさめられた体育館へ。

体育館の中央で分けられた山のように
積み上げられた食料と衣類。
季節はずれのものは仮の分類をして保管として除きながら
すぐに出番のある子ども服を分ける。

男女、サイズ、小物類に分類しながら進める。

必要なものが必要な人のところへ迅速に届きますように。
物資の分配が困難な自宅避難をしている人たちのこと
未だ間仕切りもなく更に増えるという大槌城山に気を揉みながら。

集落の問題、高齢化、後継者のいない漁業・・・津波以前からの問題が
津波で更に浮き彫りになっている。

今日は10人の方が盛岡から入った。
「子ども服のダンボールの山1/3が仕分けできたよ」と
ヨーコさんから夕方明るい声で電話が入った。

沖縄への避難を勧めるもその距離に躊躇していた
10ヶ月の双子ちゃんを抱えるお母さんとも
今日友人から花巻の妊産婦受け入れ情報が飛び込んで伝えると
良い方向へ繋がりそう。
電話の声も明るい表情と思える前向きな印象。
僅かでも今より良いちょっと先へ進むことが心底嬉しい。

沿岸では桜が咲き始めた。

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2011年4月13日 (水)

ドラ新聞

ドラえもんもここまで読み込んだら
「マンガいいかげんにしなさい!・・・」と
親バカとしてはいえない状況。

10歳毎月第3金曜日ドラえもん新聞発行。
長い春休みで時間が充実しているのか
「あーホントは15日の発行だけどできちゃったからいいよねぇ」
結構なことです。早い分には・・・。

毎回巻頭に選び出す
『ドラ言葉』
  「なくなよ!人生にはいろんなことがあるもんだ。」

前号での
『質問コーナー』で私からの質問
  (Q)3・11で大きな地震ありましたが
  ドラえもんで地震が登場する話はあるのですか?


  (A)あります。「地震なまず」

『ドラえもんで知った』コーナー
  ママは冬が好きで
  パパは夏が好き
『編集後記』
  次回5月号は2周年スペシャル企画がたくさん
おたのしみに!!

はい。楽しみにしております。

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2011年4月11日 (月)

女神さま

雨がふりだす前にトイレの汲み取り作業をせねば・・・
と思いつつ、結局降りだしてしまった。
ほどなく上がったのだが気温が下がる。

本日お風呂沸かし15歳担当。

お風呂に入らなきゃ夕飯の用意も禁止とかで
(じゃ代わりに作ってくれてもいいのだが)
明るいうちのお風呂。有難いことである。
そこそこ重装備だけど放射能ほどじゃないし
そんな○○マミレではありませんから。

1ヶ月。あれからいちいちアリガタイと思ってしまう。
あたりまえが覆されてから。

先週からはゴミの収集に来てくれるようになった。
今週からは生協の共同購入も届く(限定数の商品がほとんどで
注文はするものの何が届くかわからないんだけど)。

でもほんとは必要なものって
あんまり多くは無いとも思う。

トイレ掃除しながらついトイレの神様を歌う自分自身に苦笑。
「トイレの神様」が苦手っつか
「トイレの神様」をそーだそーだって盛り上がる雰囲気が苦手っつか

私の心の友!?『激落ちくん』であちこち磨く。
相当女神になったはず。

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2011年4月 8日 (金)

ローソク再び

2051

うつらうつらとしていた時だった。
昨夜の余震。

まもなく震災から一ヶ月。頻発していた余震も落ち着き
・・・と思いきや。
避難先の人たちも怖い思いをしたことだろう。

今回は家で揺れを体験したわけだけど
「こりゃ家が壊れる!」と思った。
ミシミシ ユサユサ ミシユサ・・・。

子どもたち、隣の部屋のリエちゃんに声かけて
「起きて!」「外出て!」

揺れがおさまり気づくと10歳眠ったままだった。
家がつぶれたら置いてけぼりだった。ゴメンよ。
申し訳なく、布団から飛び出して寝ている10歳を、
私の布団に運び込んで
湯たんぽ代わりにくっついて再び眠りへ。

朝、渓雲荘の主情報で県道落石で通行不可。
13歳のスクールバス、役場と連絡とると遅れてはいるが
既に出発したという。
電話も繋がらないし落石も怖いし、今日はカメハメハ大王式
揺れと落石停電でお休みにしようということに。
桶屋さんとスクールバスに出会うところまで・・・。
数箇所ありゃりゃな落石。
道路にはかかってないものの巨大な落石もコワッ。
新たな落石にビビリながら、そしてパンクに怯えながら
車を進めるも、どうにもこうにも通行不可な地点へ。

・・・と働く自動車登場!

小さな男の子じゃなくても、
いっぺんでファンになったゾ、働く自動車!
ガンガン落石を片付けてくれる。
13歳は止む終えずのお休み!?にヨロコビつつカメラ持って
あちこち撮影。
ローソク生活の写真は13歳。

風邪気味?花粉症?
目がシパシパ。喉はイガイガ、頭ぼんやり。
昼食後モーレツな眠気に襲われ
13:30からお昼寝。

目覚ましがなる中
子どもたちの
「電気電気!おやつ!」
で15:00に目が覚める。

ぼんやりしたまま10歳の算数のプリント丸つけ。
長い春休みになったのでプリントもしっかりと。
回答がないので、ちょっとした頭の体操になる。

「十の位で四捨五入して5700になる整数のうち
一番大きな数と一番小さな数を書きなさい」
とか。丸付けもちゃっちゃとは進まない。

新学年の教科書も宮古の書店の倉庫で津波の被害に遭い
今月末の始業式に教科書は間に合わないとか。
学習指導要領はどうなるんだろう。
まあ、ご機嫌な10歳がいれば私は良いのです。

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2011年4月 7日 (木)

伝書鳩

引き続き原発事故は収束せず。
電力会社のスポンサーでなりたっているメディア。
で、次はネット!?
ちなみにここんとこ「親切」を「がんばって」くれる
AC(公共広告機構)も
東京電力含む会社の皆々さんによってなりたっている。

スプーン一杯で地球上の人類を(人類だけの地球じゃないけれど)
別の世界へ送る力を持つプルトニウム。
人類の作り出した最悪の毒とも。
(プルトニウムの名前の由来は 黄泉の国の冥界の王者
「プルート」からきているとか。
やたら博学な連れ合い。…って私が知らないだけ?)

その半減期は同位体によってさまざまだけど
2万年4000年とか8000万年とか
生物的には未来永劫といってもいい時間。

「大丈夫」御用学者の皆々さんも罪ですぞ。
プルトニウムは安全ですってまぁ…。

日本もエジプト、リビアのように
言論統制されないように伝書鳩で広報する?
放射能と同じレベルでとんでもない方向へ行くようで。

京大小出裕章さん
pt1
http://www.youtube.com/watch?v=JT2YkREVTNA
pt2
http://www.youtube.com/user/nyugankenshin

そしてpt1~pt5まで長編だけど
フリージャーナリスト上杉隆さん、
自由報道協会による「原発事故」取材の報告

http://www.youtube.com/watch?v=O0CRuajD6C8
http://www.youtube.com/watch?v=0ur1dyhLtys
http://www.youtube.com/watch?v=o91IDAxrNG8
http://www.youtube.com/watch?v=eMZMfpiOD8Q
http://www.youtube.com/watch?v=f_ELXK3oaNw
http://www.youtube.com/watch?v=ZhlwTXxyfm4

長いかもだけど引き込まれる。是非。
貴重で重要な話をしている。

今日は大槌避難所で、婦人之友社時代
編集部にて大変ゴメーワクをかけた先輩やら
母校のセンセイやらに再会
なんという…。
これから石巻入りとか。

そしてイラク、味噌、様々お世話になってきた
花巻の増子さんにも会えた。
素早い動きでその輪が広がっている
結っこの活動の事務局。
自衛隊の遺体捜索の合間に来てくださる。
泊り込みレポートも。元新聞記者の腕がなる。

一ヶ月休載だった新聞連載も来週からスタート。
…言葉が紡げるか不安はありつつも。

「ぎゅっとしたお握りじゃなくて
ふわっとしたご飯が嬉しい!」
と言った大槌のかあさんの言葉をかみしめつつ
ご飯をいただきます。
…って準備これから!!

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2011年4月 6日 (水)

憧れのキャタピラ

8:30大槌にむけて出発。
40分ほど走って異変に気づく
パンク。
10時の約束にも間に合わない。
被災地でスペアまで穴あけては洒落にならず。
遠野イエローハット春ものタイヤ(そんなのあるの?)にかわっていて
スタットレスの在庫は北上から取り寄せるという。
この先そう出かけられない。2時までウロウロしながら待つ。
パンクタイヤはこの2月に買ったばかりというのに痛い・・・。

本日は断念。
春、落石の季節。
落石の小さな破片でズバッと切れたのか
いきなりつまづいてしまう。

でもこのパンクが
「これからいろいろあるよ」と
教えてくれているようでもあり。
ゆるゆるやるです。

一輪車にはパンクしないタイヤとかある。
誰かパンクしない車のタイヤ開発して!
キャタピラがとっても羨ましく思えた日。

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グルグル

1091

今朝渓雲荘の主、13歳のスクールバス見送りに行った時に
「今日大槌行くけど…」という。
一瞬(今日なら…)と頭でさらっと予定をめぐらせ
「私も乗せてって」

タイマグラの友人チホの声がけで集まった絵本と
タイマグラの水18リットルたずさえ
軽トラに乗せてもらうつもりで家へ戻り、準備。
…と、これまでギター三昧だった15歳が
「オレも行く」

よって渓雲荘の軽トラの後ろについて大槌入り。

震災後初めての沿岸。
正直恐かった。
いろんなことが。
はじめの一週間は気が張っていたのか
電気復旧後もキリリとしていた。
通信復旧して方々に連絡をとり無事を問い合わせたり返事をしたり。
長期戦になる原発、風向き。
グルグルグル。
気持ちは下降。

どこからどうすればいいのか…。
そんな自分の気持ちを埋めるように
被災した人に独りよがりのようなことになるのでは…とか
無事だった私がこんなことを思うこと自体に申し訳なさを感じ。

グルグルグルグルグルグル…。
気分はちび黒サンボのトラのバター。
メルトダウン。

心強いんだか許ないんだか、お供も来てくれるというんで
15歳と清志郎ガンガン聞きながら涙ふきふき
兄が医療支援で入っている大槌へ。

途中毎年剣道の大会でおじゃまする小学校も悲しい姿に。
兄たちの診察室落ち着いた雰囲気だったので、
しばし無事の再会を喜び会う。
オーストラリアから帰国したヤマウチドクターもフリーで支援に。
15歳お座りできるようになった頃以来か?

…と背の高ーい女の人が通路を横切る
「リエちゃん!!」
通信復旧後メールで連絡とっていたが
気仙沼のご実家は海から直線300m
お父さん行方不明のまま…。
そんなリエちゃんと何故ここで会う!!

「パレスチナ子どもキャンペーン」のボランティアに混ぜてもらい
15歳と私アルバムや証明書などの書類の泥取り整理、物資の
トラックへの積み込み。
その後は朝晩2食の避難所食を3食に。
そしてたんぱく質がとれてない食生活の改善を目指す
パレスチナグループが昼食を用意というので
炊き出しに。

学生時代600人分の昼食作りやら
寮生活で100人単位での朝、晩の食事作り。
メラメラとよみがえり
さりげなく仕切らせていただく。

時間の経過と共に避難している方の自治を
サポートできるような関わりがいいのだろうけど…。
今日の場所はそんあ雰囲気ではまだなかった。

避難所の地域性とか規模とか細やかな対応
大変なことなのだろうなぁ。
「刻々と現場の状況は変わるってる」。
と10日間入っている
「パレスチナ子ども」のシナヤカタナカさん。

皆さんに食事を渡していく。
「二人です・・・」
「七人分・・・」
「三人・・・」
そんな中「一人」という方が何人もいた。

外出先で一人お店で食べるということが私はできない。
まあ基本おにぎりを持って歩いているので一人の場合は車とか
公園のベンチで食べるのだが、なんとも居心地が悪い。
極めて個人的なクセのようなものなのだろうけど。

避難所でのプライベートが早く確保されればいいと切に願うし
仮設住宅も早く早く!
けど一人のお年寄りとっても気になる。

一人で食べているじいちゃんばあちゃんからの
「うめぇな」
とか
「今日のおかず何だ」
とか
「あっ箸が落ちた」
なんてつぶやきはツイッターでは繋がれないしなぁ。

フィールドノートを拠点にボランティアへ入りたいという
頼もしき客人?もはや家族?親戚?バリスタナイトーさんにも
励まされた。「ビバ!サンデー毎日&東北人!」
この場を借りてありがとう!後ほどメールします。
他にも受け入れを希望している友人たち。ありがとう。
そいでボランティア宿泊一号はリエちゃん。
明日から3泊。

料金など詳細ちょいとフィールドノート運営会議…って
二人で話せばいいって?
いや子どもたちにもいろいろ協力してもらわねばならない。
追ってお知らせします。
明日は大槌安渡地区へ行く。
というか15歳の働きにも脱帽。
「パレスチナ子ども」のタナカさんに
「子どものテント立ち上げるから15歳くん来て!」
ご指名。

この小さな宿で長く続けて出来る関わりをしていきたい。
そんなことを帰りの車で
清志郎のI LIKE YOUをBGMにグルグル思った。 

1週間風呂なしビールなしで
医療活動をしている兄に敬意を表し
ワタクシ代わりに5日ぶりのお風呂の後
エビスビールをさらりと飲む。感謝。

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2011年4月 1日 (金)

爆発の春

1272

4月だ。正確にはえっ4月なの?という印象ではある。

友人から4、5月の予約が入る。ありがたい。
少しずつ。
フィールドノートも動かねば
ここで暮らしていけないのだから。

連れ合いと渓雲荘主と一昨日急遽宮古へ友人をお見舞いに。
見慣れた街が津波の来たところ、来なかったところ
くっきりと・・・らしい。
田老のトシコさん、津軽石のエンドウ先生ご無事で本当によかった。
お昼には宮古市カリー亭。
復活のブログを伝えていたので行ったようだが
なんとおじさん二人が復活第一号のお客になったとか。
シネマリーンも先週から営業再開。
kezu支配人の奔走する様子にただただ脱帽。
全国放送でフルネームでてました!
こうやって大変な中お店を復活させる友人知人から
逆に励まされたりして。

先週の通信復旧後
友人のオーストラリア在住の医師が帰国して医療支援をしたい旨を知る。
連絡をとりあって田老友人黒田センセイを紹介。
昨日帰国とか。

どうか黒田センセイそして
田老の人たちの助けに繋がればと願う。
明日には岩手入りの予定。

さすらいのナース鎌倉のゆーこさんからも連絡をもらう。
彼女も田老に親戚がいたり・・・。
看護師、保健師としてそして今は大学で街づくりを担う行政職までも・・・。
様々な立場で臨機応変に動くことのできる人。あー頼もしい。

沖縄の兄も昨日から大槌に沖縄医師会から1週間派遣。

子どもたちの小中学校は4月25日から。
スクールバスもはっきりしないとか。
子どもが学校に行っている間にボランティアできないだろうかと
連絡をとる。

そう皆さんから気にかけていただいた15歳である。
盛岡○高不合格。
一関高専へ進学が決まった。
本人も納得のよう。
それでも9日の入試日夜自己採点しながら
覚悟はあったのか、それなりに落ち込みつつ
10日高専入学手続き締め切り。
帰宅してからは少々気を取り直し
そして11日の地震である。
この命あるだけでありがたいという状況、
彼なりに納めたようである。
ご飯もしっかり食べてしっかり寝ている大丈夫だろう。
今日高専から延期になっていた入寮日が
決まったと連絡が入る。

爆発の春。今年ばかりは洒落にならない・・・。
爆発は命みなぎる春のエネルギーだけで今はいい。
ただ懸命に咲いている。
巡ってきてくれた春にありがとう。

お正月3年ぶり?に再会した
民族文化映像研究所のチヒロさんから
お見舞い&お知らせのお便りをいただく。

『アイヌ・ネノ・アン・アイヌ』~人間らしくある人間
4月9日(土)~22日(金)大阪 シネ・ヌーヴォ
原発を許容してきた私たちの暮らしを
大きく見直す転換期。
きっときっと人間として生きる根源
海山川空・・・大地に寄り添い生きてきた人たちからヒントが得られると思う。

上映会での収益の半分は被災地へ送るという。
お近くの方是非。

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