« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »

2011年3月27日 (日)

You've Got A Friend

ほんとは今日は
世界一の防潮堤10mを軽々越えて津波に飲み込まれた
宮古市田老地区に行く予定にしていた。
震災後初めての宮古入り。
ガソリンは相変わらずないけど1往復なら何とかできるということで。

友人の無事をパーソンファインダーで22日通信復旧の日に知る。
友人に伝言が急遽あり。
そしたら昨日昼にその友達からのハガキが届く。これで番地もわかった。
そして夕方本人から「ケータイ繋がるところへ来た」と初めての電話。
なんと言うタイミングのよさ。

無事を確認したと同時に二人で一気に話す。
いつ通話が途切れるかわからない。
私としたことが意外に冷静に話しができた。(多分)
よかったほんとによかった。
電話切ってから彼女の言葉を反芻しながら涙が出た。

家は完全に押し流されなかったらしい
「家にもどってアルバムや子どもたちの
ドロドロになった服は探し出して
洗って乾かしたりしてる」と。

11歳君を頭にわが家のちょうど4歳ずつ年下の男の子3人。
母ヨーコさん。私と字も同じ。
夫は診療所の医者。
いつもいつも田老のことを考えて動いてきた二人のこと
この震災で更に頑張りが続いていることは
容易に察することが出来る。

電話の合間にヨーコさん咳き込んでる。
「風邪ひいたみたい…」
非難先は前回の津波の被害を語りべとして訴え続けてきた方の
妹さんとこ。
高台で難を逃れたお宅。

「明日から車を調達しに盛岡へ行く」という。
帰りにわが家に寄りたいとのこと。
こちらの伝えたかった用件も伝えられた。

今日の宮古行きは見送る。
しかしガソリン2,3日中に好転するとも思えず…。
暖かいお風呂沸かすからね。
わが家は意味なく!?被災地に便乗して震災後お風呂は2回。
下着は換えるけど洗濯も激減、あー楽ちん。
手で洗濯。お風呂場寒いし。

震災3日目電気復旧。ありがたい。
ランプも真っ暗になればそこそこ明るいもので
2つのランプを10歳喜んで磨いてくれた。

まだパジャマに着替えて寝るのは何となく不安と
言い訳にしながら
服のまま寝る暮らし。
子どもたちも「いいの?いいの?」と嬉しそうにそのまま布団へ。
ガラスが割れると逃げる時に怪我するので
障子開けて雨戸もあけてカーテン閉めて寝てる。
1週間前から障子は閉める。
障子ってやっぱり1枚あるとないとで違うと実感する。
家が倒壊してはいけないので、
5人用のテントも取り出し車には寝袋と毛布。
まだそのままにしている。

それまでの入りの悪いケータイラジオから
ラジカセにかえた震災3日目。
被害の状況、避難所名簿、生活情報、
そして原発のNHKから流れる大本営「大丈夫」発表が続く中
震災後初めて聞こえてきたのは
キャロルキングのYou've Got A Friend。
「涙腺崩壊」こんな形で登場。

近くにいるのに友人たちのところへ行くこともできない。

そんで11日の私
連れ合いと宮古へ。
9:30家を出る。
買い物と髪の毛もボサボサだったので
翌日15歳の卒業式もあることだしカット。
しかし宮古地区あちこちで12日は卒業式。
飛び込みでいつもOKなのでその日も余裕で出かけたところ
「13:00からなんとか」というので
その間に宮古の町をウロウロ買い物済ませ
美容院へ。

14:00店を出た。
車で本読んで待っていた連れ合いと合流帰りを急ぐ。
「10歳が16時に帰るまでに帰らなきゃ!」
おかげで私たちは宮古で巻き込まれなくてすんだように思う。
最後に市内で買い物したのは14:40。地震6分前。
14:46車を走らせてほどなくパンク?大揺れの車。
路肩に寄せようかと言って前方の道路標識を見ると
激しく揺れてる。
FMラジオは緊急地震速報告げてなかった。
9日の地震で繋がらなかったこともあったので、
すぐにケータイであちこち電話するけど
すでに繋がらない(docomoその後10日不通だった)。
とにかく小学校へ40分走る。
途中信じられないような大きな岩の落石も。
小石、中石、大石交わしてビビリながら106号運転する。

ラジオでは「閉伊川を津波がさかのぼっていきます!」
閉伊川沿い私たちは川井へ向かう。
「落石で県道は無理かも。小学生を確認したら中学生か」。
様々思いながら小学校へ行くと、一足先に
タイマグラの友人が子どもを連れて帰ってくれたと先生。
タイマグラ向かう県道は意外にも落石はない。
中学生も5:00にはスクールバスで帰宅。
無事に揃ってここでまた母涙。

積んだ薪も崩れることなく
台所で一枚お皿が割れていた。

ガソリンもなく動けず家でパソコンを
子どもたちと取り合いしながら
友人たちとの連絡をとりyoutube、Ustreamで
田中優さん、広瀬隆さん、京大の小出裕章さん、
原子力資料情報室の話や会見注視している。
あ、岩上安身さんの動画、東電の言い訳会見も見たりしている。
福島第一原発廃炉を求める署名
http://fukushimahairo.web.fc2.com/
東海地震の真ん中浜岡原発の反対署名
http://www.geocities.jp/plumfield995/
よく読んでご協力いただける方お願いします。
今すぐできることでもある。

「何か届けてくれる」「送るもの」「できること」との申し出、
ほんとにありがたい。けれど宅配便の営業所とりに行けない。
動きがとれない。

あるように暮らす。ガソリンは欲しいけどね(笑)。
子どもたちのノー天気な食欲に複雑な思いを抱きつつ。
余震のたびに体が熱くなる日々。

津波で大切なものいっさいがっさい無くした
沿岸の人たちのことを思うと
ため息ばかりで言葉がみつからない。

そして福島第一原発。
「想定外の事態」「ただちに健康に影響はない…」「大丈夫…」

でもでも「君たちヒトの力では到底かなわないよっ!」
ってあの津波の凄まじい力と地震の揺れは語っていた。

今回大丈夫だった福島第二原発もいつかは老朽化する。
東海地震のお膝元静岡浜岡原発は?
全国に55基ある原発は?
今できること、
近くの原発のことを知ること、
ストップかけることかなぁと返事をしてる。

モノの豊かさはもう十分。ありあまってる。
コンビ二も自動販売機もなくてもいい。
もっと大きな産業界での判断もいるし
国も東電もNHKもアホかと突っ込みどころ満載だけど
これをきっかけに変わらなきゃ。
命がけで作業してる作業員の人たち。
福島やら周辺地域、他所に非難してる住民、
津波にさらわれながら捜索もされないままの人
放射能汚染を恐れての風評被害やらで物資の行き渡らず
水も食べ物もギリギリで
自宅で退避してる人たちに申し訳なさ過ぎる。
六ヶ所再処理工場がそんなことになったら被害は北半球。
「次」はない。

ヒトの力はバベルの塔を築くことに費やすより
心支えあったり、祈ったり、思ったり…
そんなことから始まるもんだと思う。

長文になってしまった。ごめんなさい。

そしてコメントをこの数日たっくさんいただきました。
この場をかりて本当にありがとう。
その皆さんの思ってくれる気持ち、今一番私に必要なもの。

| | コメント (9)

2011年3月22日 (火)

無事です!!

タイマグラフィールド・ノート、タイマグラ住人皆々無事です!
メール、コメント沢山沢山いただきました。
ありがとう。
気になっていた沿岸の友人の安否情報も入った。
まだ確認できていない人も。無事を信じて。
皆さんの気持ちと、ほっとしたのとで
ほんとに涙しました。ありがとう。

先ほど通信が復旧したので、とりあえずの一報。
なぜかIP電話はかけられず
スカイプでオランダの妹が一番最初に交信できたという。
ちなみに11日、地震発生6分前に宮古市内を出たという(レシート刻印)。
当日その後の行動!?は追って・・・。

| | コメント (31)

2011年3月 9日 (水)

行っといで!

7:45分。15歳と受験校玄関
予定時間に余裕を持って到着。

スタッフジャンバーを着て、ズラリと並び
塾生を見送る塾のセンセイたち、
友達とドキドキを分かち合いながら
人数が揃うのを待っている子たち、
学校の先生から最終確認を一人ずつ受けている子たち。

「行っといで!15歳!」
15歳とギュッと握手を交わして見送る。

少々無謀のようにも思える今回の選択、
小6の頃から思っていたらしい。
10分、50分でギター、勉強のサイクル
少なくともギターの腕は上がった。
ま、よくやった。

おそらくこんな思いをするのは
最初の子、ということもあるのだろうけど。

13歳、10歳は…、うーんしかし見事に3人3様だしな。
この後も鍛えて下さいな。親度向上はかります。

ここ2日夜中に目覚め、
食欲不振、
白髪はあきらかに3本は増えた。
私もアホだなと思いつつ
こんなにベタな反応をさせてもらえるのも、また感謝。

今朝の盛岡、見事美しく晴れ渡り、姫神山、岩手山を望む。

| | コメント (15)

2011年3月 3日 (木)

涙腺崩壊

寒い。お湯が目の前でボコボコ沸いているのに冷える。
なまじ3月下旬だか4月上旬だかの気温を
先日経験してしまっただけに堪える。

味噌玉が頭上にぶら下がる季節がめぐってきた。
先週末は皆々さん楽しいめぐり合わせで味噌作り。
カミキリムシ(幼虫)試食好奇心旺盛な女性(私含む)
の中で黒一転チーバさんもありがとう!

チーバさん紫色のパンダのプリント、小さな巾着袋
お忘れではないでしょうか?
他の方確認済み。アドレスが見当たらず・・・。
や、本当に様々ごちそうさまでした。
コミックいわて受験生も喜んで購読拝読(笑)。
おとなし目だったけどやはり吉田戦車・・・。
「日輪田」美味しゅうございました。
以上業務連絡!

この春友人一家が引っ越す。
若干の覚悟はあったものの先日知らされ、
何となくココロポッカリ状態続く。
10歳、同じクラスで今日は9歳くんから皆の前で報告があり
皆で涙したのだという。
「わかっていたけどオレも泣いたよ」

13歳も15歳もずっとずっと一緒だった。
一緒に大きくなった。
私と連れ合いも心強い隣人夫婦に
助けられっぱなしだった。

15歳も一関○○無事合格。
4月には寮生活が始まる。
や、その前に3月9日公立の入試。
第一志望、目指すは盛岡○○。
「オレは絶対行く」
その根拠の無い確信は涙ぐましくもあり。
もはや私としては風邪引かないうちに早く終わって!!
という気分。
3月12日には卒業式で涙腺崩壊しなければならないし・・・。
(息子のクラスメートが崩壊させると学級通信に予告アリ)

相変わらず帰宅後ギター。
レミオロメン「3月9日」シミジミつま弾き
清志郎「JUMP」元気に鳴らし。

50分の勉強と交互に、10分ギター。
ギター、勉強、ギター、勉強、ギター…
自分への合格祝いはブルースハープだとか。
エレキはいいのか!?寮で楽器はできるのか!?
いろいろあるけど
最後までやるのみ。

13歳10歳も
「オレたちも協力してんだからがんばれよな」
確かに寒い隣の部屋でプロレスごっこで
温まっている。いや熱くなっている。

素晴らしい環境である。

| | コメント (9)

« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »