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2007年11月30日 (金)

冷凍みかん

昨日はこの冬一番の冷え込み。
放射冷却。
子どもが出かける7時過ぎでマイナス8度。
台所のシンクの中でタワシも凍っていた。
ワタシは大丈夫凍っていない。

まだまだ。これしき…。

ナディの主、ネパールから「同行者が高山病で
帰国の見通しがたたず…」とメールがきて早一週間。

ナディと散歩していると
どこまでも歩けそうな気がする。
昨日はおりこうにしてるからっていうんで(笑)
台所へいれてあげる。

クンクンクンクン…気になるものがいっぱいある。
しばらく鼻をひくつかせていたが
納得したようでおとなしく座っている。
私と連れ合いがまたまた凍ってしまったホースの修復に
小一時間家を出ていた間も何事もなく。
エライ!
*  *  *  *  *
先日香川の方からみかんをおくっていただき
あちこちにおすそ分けしたりして
「おいしいね おいしいね」
と一昨日最後のみかんを食べ終わる。
子どもたちも「あーなくなったね」。

…と昨日愛媛の方からみかんが届く。
聞こえちゃった?
あまりのタイミングのよさに驚きながら
再び「おいしいね おいしいね」
柑橘類のないタイマグラ
(買ってくればあるのだが)
赤いほっぺの子どもたちにみかんの似合う季節。
愛媛のお日様が届いたよ。ありがとう。
奥の部屋に置くと冷凍みかんになってしまいそう。
でもその前になくなるか・・・。

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2007年11月25日 (日)

未来を照らすたいまつ

冬を前にした貴重な連休にお客さんなし。
不安がないといえばウソになるが
いさぎよく休みというのもね。勤労感謝の日。
冬だな~。

で、昨日は秋田の評論家でジャーナリスト
むのたけじさんのお話を聞きに行った。
来年の1月2日で93歳になるのだそうだ。
前々から行くぞ!と思っていたので
その思いがお客さんにも通じたのね。

従軍記者として戦争を全面的に協力してきた責任をとるため、
終戦の8月15日で朝日新聞を退社。
その後は秋田・横手へ帰郷
評論、講演活動と長年「たいまつ」という週刊新聞を発行してきた。

子どもたちにはちょいと難しい話かもしれなかったが
時折子どもたちにも問いかけながら、わかりやすくお話してださる。
教育について、平和について。

「人に求めるのではなく
自分が変わること、そこに可能性はある
一緒にやっていきましょ。ねっ。」

とても90を過ぎた方とは思えないはっきりとした
言葉は胸に響く。
それに口角沫を飛ばすとはまさに…。
時に机をバンッバンッと叩きながら
「いかんつい興奮してしまった」などと。
こちらまでノドがかわいちゃったりして。
熱い熱い2時間はあっという間に過ぎた。
前向きな怒り。
終了後30年前にむのさんの講演を聴いたという人が
「随分言葉が丸くなられましたね」と。
これで丸くなったんだ。

今日は暖かな一日。
先週から真冬日が続いてたので
ほっと一息。
久々に家事もはかどる。
ストーブ煙突掃除にはじまり
先日設置した風呂場洗濯系統の水が
あっけなく凍ったので家族総出で水直し。
水をためて洗濯しまくる。
わが家のミニ大根食べ切りサイズの大根も
干しすぎってほど干せた。ようやくの沢庵漬け、
子どもたちのリクエストにより抹茶シフォンケーキ作り。
トイレ汲み取り。
とにかく3時を過ぎれば気温も下がるし
それまでに!!と家の中を走る。
また気温が下がれば
おもしろいくらいに動かなくなるんだな~これが。
タイマグラの子どもたちも遊びにきていて
9人で大騒ぎ。
夕方9月の環境フォーラムで一緒だった方がご家族で
訪ねてくださる。
そこでようやく薪ストーブに火を入れる。
随分気温も下がってきた。
子どもたちの上履き乾くかな~
こんなに連休ゆっくりしてたのに
上履きのこと忘れてた・・・。

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2007年11月22日 (木)

かつおの塩辛

先週末からいつ天気は回復するのかな~と思いながら
早木曜日。こんな裏寂しい11月にもめげず
お客さんが来てくれる。感謝。
それも「うかたま」の駄文を見て・・・という方々が続き
しめしめ…いや、申し訳ないような。
雪の中散歩したり、それなりに楽しんでいただけたようで
結構結構。
ここは自分で自分を楽しませなければ
だーれも楽しませてはくれない場所なのだから。

それにしても寒波はおさまるどころか
ますます冬将軍がのさばっている。
雪は横に流れ時折地吹雪。
ナディも用をすませると早々に家に戻りたがる。
日中もマイナス値。まだ11月、早くはないだろうか
いやそんなもんか。毎年新鮮に心揺らぐ11月。

今晩は連れ合いの単身赴任中!?の3番目の弟が
タイマグラに戻っていて、フィリピン料理と
子どもビデオ鑑賞会に招待されるも
私はかなりあれこれ抱え込んでしまっている状態で
それどころではなく、男4人を送り出す。
一人の夕飯・・・。ちょっぴりそんなことになりそうな気が
しなくはなかったのだが
まず部屋を片付け、ゆるりと早めの夕飯を
大豆と鶏肉の煮込み+ワインあたりからはじめる。
そうそう冷蔵庫にサンマの酢〆の
ちょっと残しがあった。と、もう一杯。

そういえば冷蔵庫の扉でたたずんでいたのは
先日海のまちで連れ合いがいつの間にか
買っていたかつおの塩辛・・・
目から出血しそうにしょっぱいので
ごま油と長ネギをきざんで和らげる。
それを昨日焼いたくるみパンにのっけて…
パンならワインもとついでみるが、塩辛なら焼酎か
と先日松江で父と収穫してきた柚子を
輪切りにしてお湯割。

ほんとは満月も近いし縁側雪見酒をしたかったけど
さきほど別の用で縁側に出ると
今日はちょっと「生命の危険」などという言葉が
ちらつきやめておいた。
おだやかな月夜の晩にしよう。

でも、今日はホンキで書こうって心に決めている。

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2007年11月18日 (日)

闘牛

3日前、風にのってひらひら~と白いものが…。
初雪。
早池峰も3度白くなり
さー来い!とは思ってはいたが
暖かい11月だったので、
急にやってきたここ数日の冷え込みに
「毎年何着てたんだろう・・・」
と、タンスや茶箱からひっぱりだしてみる。

寒くなると動きが鈍くなる
虫のような体質だが
そうも言ってられない。
重い体に鞭打って…。

ナディも半室内!?にいるけど
何だか寒そう。
7歳に「ナディ寒いかな?」
と私が言うと
7歳ナディの敷き毛布を一旦きれいに広げて
たたみ直す。

畳んだ毛布を寒そうなナディに
かけてあげようとしている。
7歳としては、まるっきりの親切心からなのだが
ナディにしてみれば迷惑千万
必死に逃げ回っている。
真剣なだけに7歳怒り出す。
まるで新米闘牛士。

でも一番ナディのことが
気になるのは7歳。お散歩もご飯も7歳だもんね。

12歳は宿題そっちのけで
連れ合いと薪取り薪割り薪積み…。
純粋に仕事をする喜びを楽しんでいる
12歳にはいつも励まされる。

毎度研究熱心な10歳は世界地図やら図鑑を眺めては
ノートに書き込んでいる。
本日の研究はアマゾン川の沼に生息するアロワナ。

今日はこれから荒れる予報。
今晩は積雪も?
春夏秋、いつも彼らは
「早く冬にならないかな~」
雪が大好きな子どもたち。
さー君たちの待ちに待った季節がやって来るよ。

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2007年11月15日 (木)

海のまち

昨夜の講演会。
私のつたない話ではあったが
質問コーナーでは「伝わったな」
と思える感想や質問もいただいて
一人でも子どもたちとの今日からの暮しが
よりよいものになっていけば・・・
と思う。

夜の運転はあぶないからと
連れ合い運転手として一緒にでかけることにした。
隙あらば石も叩きたかったらしいが
本日は時間なし。

たしかに前日は睡眠不足で
道中半分以上は寝ていた。
おまけに帰り道、標高の高い遠野の高原は濃霧。

道が良くなっていて意外に早い到着。
200年の歴史があるお醤油さんを訪ねた。
今年六ヶ所村まで歩くという人たちがわが家へ寄った時
そのお醤油屋さんも受け入れをしてくれたということで
ポン酢をいただいた。とてもおいしく機会あらばと思っていたお醤油屋さ。

アルコールやアミノ酸など使わない
県産の大豆と小麦を使ったお醤油を桶で仕込み櫂を使って
手で攪拌、てこ絞りという昔ながらの圧搾をしている。

当主は「日本一」といわれる牡蠣の産地でもある地元の海を
開発から守るため、かつて宇井純の講座に
手弁当で岩手から通ったという人。

お醤油の色とは対照的に透き通るように色の白い若い女性が
7種類のお醤油と、もろみの試食をさせてくれた。
お醤油のことを一生懸命伝えようとする彼女に
連れ合いと感心しきり。
ポン酢と醤油、もろみ味噌を買っていく。

まだ時間があったので海へ。
この先にあるの?
というほど辺りは静か
凪ぎの日だ。
松林を歩いていると
波の音が聞こえてきて
久しぶりの海に呼ばれるように
足早に松林を抜けて海岸へ出る。

視界が開ける。
大きな湾に小さく寄せる波。
あー海に会えて良かった。

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2007年11月13日 (火)

黄色いリボン

明日は県南の小中学校のPTAの集まりでお話。
随分前からわかっていたのに。
のんびりしている連れ合いまで
「大丈夫なの?」
なんて言うものだから何だか焦ってきた。
「何も大丈夫ではないよ…」
本当は4時に起きるつもりで昨日は早寝したのに
結局たっぷり睡眠をとったにすぎなかった。
そんなことになりそうな気もしてたけど。

ま、始まってしまえばきっと
「えっもう時間ですか?」というほど話すのかもしれないけれど。
やはり始まる前はそれなりに緊張するもの。
そういう意味では宿のお客さんを迎えるのも
来てしまえばもうこれで通すしかないのだけれど
イ・チ・オ・ウ片付けたりお風呂焚いたりご飯の用意と
いつまでたっても要領悪いな~。

往生際悪いってのはよーくわかっているのだけれど。
最後の最後までベストを尽くしたいではないの。

土曜日は12歳だけと思っていたら
10歳も!7歳も!というので
三兄弟を連れて六ヶ所村ラプソディー
7歳は感想として「コンブがおいしそうで食べたかった」
漁村のじいちゃんやばあちゃんが昔話をしながら
山のように積み上げられた乾いた昆布の形ととのえて
束ねているシーン。ばあちゃん歌まで出てきて・・・
私もあのシーンは印象的だった。
そこにささやかな暮しがあるんだって。

10歳は自分と違う考えを人とわかりあうことは
難しいと思った・・・ってなことを日記に書いていた。
(許可を得て読ませてもらう)

12歳は夜遅くまで日記をパンフやちらしを読みながら
苦心していたが、すぐには書けない。と、
2ページほど書いて「パンフレット先生に見せてもいい?」
私からも担任に書いて持たせる。
「子どもたちにも六ヶ所のはなしをしました。
パンフしばらく借りていいですか?」とあった
学生時代に六ヶ所出身の友人がいて気にかかっているという。

岩手日報の私の担当者も監督にインタビュー、生活欄で
取り挙げて!と言ったら打てば響くように応えてくれた。

友人、知人たちからも上映会に出かけた、
自分のブログで流用させて・・・と

少しずつでも確実に一人一人の暮しから
コンセントの向こう側を考えられる人の輪ができたら。

いよいよ来年2月本稼動がはじまれば
よっぽどのことがなければ止まらない。
よっぽどのことって何だろう。

今友人からファックス
  署名活動の他に
  車のアンテナに黄色のサインをしばってください。
  テープでも、布きれでも、ポンポンでも

そう私お得意の最後までジタバタと…。

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2007年11月10日 (土)

取り越し苦労

妹のとこの姪っ子に会ってきたからだろうか。
昨日はふと12歳が赤ん坊の頃のことを思い出した。

息をしてるか心配で、すやすや眠る息子の鼻のあたりに
ティッシュをかざす。
ヒラヒラと彼の呼吸で揺れるティッシュを見て
喜んでいた私。

「お兄ちゃんでしょ」っていうコトバは
なりたくてなったわけではない彼には
使うまいと思いながらも、弟たちの存在から
結果的に「お兄ちゃんでしょ」
的行動をとることもあった母の矛盾・・・。
「カカはわかってないっ!」なんて
いつも穏やかな子が
モーレツに怒ったこともあったっけ。
数年前までいつも寝顔に「ごめんね」なんていっていた。

大人になればもっと分別がついて
落ち着いていられるのかと思ったけど
うろたえたりドギマギしたり迷ったり
一向に変らないではないの。

でもそんなのもいいかと思うようになったところが
わずかな私の成長か。

先日から12歳足首が痛いという。
特に腫れもないし「成長痛じゃない?」なんて思っていたのだけど
太ももに手のひら大の面積で小さな紫斑が今日は出てる。
2ヶ月前に両太ももに出ていたのと同じもの。
数日で紫斑は消えたのだけど、2度目となると何だか・・・。
紫斑病とか調べだしたら
何となく気になりだしてしまった。

12歳のことを振り返ってみたりした私の直感。
結構当たるのだ。

お昼には布ナプキンのことと合わせて
盛岡からのお客さんの予約があったのだが
2時間ずらしてもOKというコトバに甘える。

検査の結果血液は正常値。
溶連菌の検査結果を来週待つ。
でも熱が出た記憶もないし・・・。
ふーっ 取り越し苦労。
直感もね、大したことはない。

予防接種など受けていないので
注射針に免疫のない12歳。
「血液」とか「針」に過剰に反応する。
私は意外にヘイキな分
「しっかり見とけば~」と言うが
彼は180度首横にしてを目を逸らしている。
しかし今回の採血はあっけなくクリア。
そんな自分に自信がついたのか、
結果も異常なしで安心したか
ニッコニコ。学校へも寄って帰る。

帰宅して電池切れで動かなくなったテスターに
宮古で買ってきた9ボルトの電池を入れイソイソと
何やら計っている。

私はおかげでこれまでで最高(悪)の原稿ぎりぎり入稿と
なってしまったが、盛岡からの2年ぶりに再会のお客さんとも
しっかり会えて、楽しいひと時、ココロも晴々。

「六ヶ所村ラプソディー オレ観たい」という12歳と
明日は再び宮古へ。

12歳がこの映画に出会った後「お兄ちゃんでしょ」という
理不尽を感じたように、大人への不信感を増幅させるだけに
ならないようにしたいのだけど。

「何てことするんだ!」って父も母も怒っているのよ。
ささやかな人の営みが巨大な力に翻弄される。
それでも希望を灯を消さずに生きていく
科学少年のココロよ育て。

※それにしてもこのカメムシ何とかならないのかな
2週間もすれば完全越冬態勢に入るのだろうけど・・・。
冬が始まる。

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2007年11月 7日 (水)

命をつなぐ

ちょいと長いブログ。
書き出したらつい・・・。
少々お付き合いください。

今週9日岩手県宮古市を皮切りに
県内の各地で映画「六ヶ所村ラプソディー
鎌仲監督の講演と上映会が続く。
宮古は鎌仲さんの講演と「タイマグラばあちゃん」の澄川さん
の講演の後、二人の対談というなんとも
ゴージャスな時間。是非お近くの方はお出かけください。
(って私は都合つかないのだけれど・・・)

月曜日、六ヶ所村の再処理工場の本稼動が来年2月に迫る中
ガラス固化体初製造というニュースも入ってきた。
ちょうど一年前お隣の遠野に最終処分場の調査云々で騒ぎになった
ガラス固化体…。
NHKのラジオは「最終処分場さえ決まっていないのに」
「…さえ」。全く。
岩手日報の扱いはちょっとユルイかな。

新聞で、高レベル放射性廃棄物、
つまり六ヶ所でつくられた最終的な核のゴミを
地層処理する候補地募集の
広告をよく見かけるのだけれど
「100年を越えるパートナー」って
ちびっこい字で書いてある。
何万年も管理しなければならないガラス固化体。
たしかに軽~く100年は越えるパートナーだ。

ハンカチ落としみたいに
自分の近くに来なけりゃいいっていうんじゃなくて
その存在自体をなくす方向で考えなければ。

ちょっと脱線するけど
老け顔のわが連れ合いが大学生のお客さんと
年齢の話をしてて
いくつだと思うっ?て聞いたら
大学生「うーん60歳以下」
連れ合い「…そうとも言う」
ってことがあったけど
同じレベル?違うか…
コトバって難しい。

先日島根への帰省で飛行機に乗る前に「いのちと放射能」読み終えた。
サイエンスな部分に加え、心のあり方も問う
読み応えのある本だった。
茨木のり子も読んで、読むものないな~っと
JALの機内誌読んでたら「ノーマルな立場で取材」した小説家が
六ヶ所村は安全って…。

20年前六ヶ所村で工場誘致に反対した地元の漁民は機動隊と
もみ合うほどに反対運動が盛んだった。
そして本稼動が目前に迫る今
年老いた人たちは「遅すぎる」と映画の中で言う。
私は何をしていたんだろう。20年前。
自分のこととして思えなかった鈍さを悔いる。
でも今ならまだ!

5日は三陸の海を放射能から守る岩手の会と
いわて生協の反対署名約10万筆が国に提出。
生活クラブ生協と宮古の漁協も署名集め
今国会中に提出の予定。
思いが届きますように
そしてこれまで署名を通して
六ヶ所のことを話題にするきっかけにもなった。
中には「そんなバカなことあるわけがない」
と憤慨する人もいた。
そう思うのもいいかも。六ヶ所村ということが
その人の心でざわつくきっかけになれば・・・。

ワカメが 芽かぶが サンマが 海が泣いてる。

以下は連載中の岩手日報「タイマグラの風」
先月16日付けから流用。

「命をつなぐ」
 
 「六ヶ所村。それって地名ですか?」わが家の壁に
貼ってあるドキュメンタリー映画「六ヶ所村ラプソディ
ー」のチラシを見て、東京から来たお客さんが言った。
私は昨年北上市でこの映画を観た。それまでも青森
県六ヶ所村のことを、知っているつもりだったが「対岸
の火事」のような感覚でいたことに気づいた。
 現在日本各地にある55基の原子力発電所。そこで
使用済みとなった核燃料を、青森県の六ヶ所村の核
燃料再処理工場でウランとプルトニウムに分けて取り
出す。その工場が本格稼動を始めれば、原発1基が
一年間で出す放射性物質を1日で排出すると言われ
ている。その量に規制はなく海へ空へ出し放題。
 今年6月六ヶ所村に暮す人が、わが家を訪ねてくれ
た。長年再処理工場の中止を訴えてきた人だ。彼は
「六ヶ所村のことを自分のこととして考えにくいかもし
れない。けれど、もしもあなたがガンの宣告を受けた
ら、家族で悲しみ、食べ物や生き方を考えるでしょう。
それと同じことだと思うんですよ」。目に見えず、匂い
もない放射能が、六ヶ所村から潮に乗り、風に乗り、
岩手の海を大地を、そして日本を地球を静かに深く
蝕んでいく。
 そんな今、胸に響くのは、お隣のマサヨばあちゃん
がよく言っていた「命繋ぎをしてきた」という言葉だ。ド
ングリを食べ、ネモチ(葛やワラビなどのデンプン)を
食べ、ワカメを食べ、ヒエやアワを食べ、命を繋いで
きたのだと。ばあちゃんにとって命はポンと現れるも
のではなく、ともすれば途切れてしまいそうになる命
を、「繋いできた」という感覚だった。私はあと50年も
すればこの世からいなくなるだろう。しかし子ども、孫、
脈々と続く命の連鎖は、全ての命へと繋がる。
 「放射能を海に捨てないで!」未来を生きる子ども
のために、そしてヒロシマ・ナガサキ、チェルノブイリ
で命の連鎖を絶たれた人たちのために。
 来月、岩手県内で再び「六ヶ所村ラプソディー」の上
映や、監督のトークが予定されている。9日宮古市(上
映は10日から1週間)、10日盛岡市で鎌仲ひとみ監督
のトーク。11日花巻市、18日平泉町で上映。私ももう
一度観にいこう。そして「六ヶ所村、知ってますか?」
友人や、お客さんと話そう。

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2007年11月 3日 (土)

手のシワ

この季節タイマグラでは薪ストーブも稼働しはじめる。
よって私の指やら爪やらすすけて黒くなる。
加えて寒さで手が荒れて、一度お風呂に入ったくらいでは
とれないのだ。
タイマグラにいるといっこうに気にならないのだが
こうして町中にいると、レジでお金を払うときなど
自分の指やら爪の黒さに驚いてしまう。

それがふと今日車の運転しながら赤信号の時に
手を見ると白い!爪も指も。そしてツルツル・・・。

タイマグラに来た当時
日に晒されてシワを刻んだばあちゃんの手を
かっこいい!と思う反面
この暮らしにまだ戸惑いがあった私は
このまま日に焼けてシワシワになっていく
姿を想像できなかった。

ま、私はばあちゃんのような働きものではないからね。
なろうっていってもなれないのだけれど。

本日は松江の
母方の祖母の94才の誕生日。
祖母の手に育てられた母に
私は育てられ、また私も子どもを育てる。
シワを刻みながら。

祖母は「欲を出して95までお誕生日迎えられるかしら」
なんて言ってたけど、大丈夫大丈夫!
スーパーポジティブシンキングなおばあちゃん。
これからもばあちゃんの存在は私の支えです。
明日は(日付かわったか・・・)タイマグラへ。
また手にシワを刻み、
煤に指が染まる日々がはじまる。

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